ぼくらに超えられない夜はない

 

人間は期待された通りに成果を出す傾向がある。

この心理学的行動を、ピグマリオン効果と言う。

 

ピグマリオン効果についての有名な実験がある。

無作為に選ばれた生徒が優秀だと知らされた担任が、ランダムに選ばれたにもかかわらず優秀で成績が伸びる生徒だと思い込んで、様子を見ていた。すると、実際に成績が伸びたという実験である。

 

このピグマリオン効果には、ゴーレム効果という逆のものがある。

ある人物に対して周囲の期待が低い場合、その人物は周囲の期待どおりにパフォーマンスが低下してしまうという。

 

では、そもそも何の関心もない場合は、何効果というのだろうか。

インビジブル効果とでも言っておこうか。

 

ゴーレム効果は期待が低いにしても、関心があるに相違ない。

好きの反対は嫌いでなく、無関心とよくいったもので、無関心が最も辛い。

 

期待が低く見積もられているなら、見返してやると反骨心が燃えそうなものである。

しかし、そもそも関心がない相手に、何を示そうと反応を示されない場合、どう考えてもパフォーマンスが低くなるのは火を見るよりも明らかである。

 

ゴーレム効果よりもインビジブル効果の方が悲惨な結果を招くのではないか。

この仮説を検証するために、ぼくはルワンダに送り込まれた実験体なのかもしれない。

 

誰にも期待されていない中で、毎日仕事をしている。

いい意味でもわるい意味でも、ルワンダ人の同僚たちから期待も関心もされていない。

 

一方、外国人という存在自体は、現地民たちの関心を集めまくる。

この相剋するアテンションで、なんとか立つことができているのだろう。

 

外的動機が一切ないので、全ては内的動機に委ねられる。

そもそもボランティアなんて自発的な活動なのだから、内的動機に駆動されて行うものなのだろう。

 

だが、ボランティアの「ぼ」の字も、国際協力の「こ」の字も、知らない人間だったぼくは、まったく新しい境遇に打ちひしがれている。

 

そうして、こうやって悲観的なことを綴っているときは、たいていヘコんでいる。

だからといって、自分の選択を嘆いてるわけでも、協力隊やルワンダへの不満が言いたいわけでもない。

そして、そんな自分に同情しているわけでも、決してない。

 

でも、心の中で燻るなにかを文字にして吐き出さないと越えられない夜があるのだ。

これだけは、変えられない事実である。

 

過去に戻れたとしても、ぼくは同じ選択をする。

協力隊になってよかったと心底思うし、ルワンダに来れてよかった心底思う。

べこべこにヘコむ夜も含めて、愛しているのだ。

 

こうして痛みの理由を言語化できると、少しばかり気が楽になる。

そして、また明日を迎えにいくことができる。こんなことを毎日繰り返している。

 

つまり、人間ってすげえのだ。

 

インビジブル効果という謎の新説で明日を迎えにいけることは、神を生み出したユダヤ教徒と同じである。

 

つまり、人間の想像力ってすげえのだ。

 

だって、痛みを感じていても、前に進むことができる。

何度殴られたって、立ち上がれる。

ぼくらに超えられない夜はないわけだ。

 

結局、何が言いたいのかと言うと、人間ってすげえのだ。

 

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