ルワンダでもっとも存在の大きさを痛感したもの、それは自動販売機。
日本食よりも、シャワーよりも、自動販売機。
アフリカの大地で、自動販売機の有り難さをひとり噛み締めていました。
ルワンダでいちばん初めに取り組んだことは、現地調査でした。生活環境を知り、ビジネスチャンスはないか調べるために歩き回りました。
毎日、とにかく歩く。ひたすら歩く。
当たり前のように、一日で20キロ歩いていました。
ほぼ赤道直下。太陽に照らされながら、ひたむきに歩きつづける。
汗をかかないわけがありません。喉が渇かないわけがありません。
ルワンダの人の暮らしぶりを調査しにきたのに、飲み物を購入できる場所を必死になって探していました。
気づいたら、もう何を調査しているのかわからなくなるくらいに。
結局、20キロ探し歩いて、一つも見つけられず帰宅。
このときほど、自動販売機の有り難さを、痛感したことはなかったです。
日本では、至る所に自動販売機はあります。
駅や大通りなど人が集まる場所には必ずあります。住宅街の中にも、ふつうにあります。
喉が渇いてから、5分もあれば見つけられるはずです。
人間、失って初めて、失ったものの大きさに気づきます。
ぼくにとって、まさしく自動販売機がそうでした。いつでも、どこでも、当たり前に飲み物が買えることが、どれだけ有り難かったのか気づかされました。
しかし、日本に戻って10ヶ月。
自動販売機に、何の感情も湧かなくなってしまいました。
ルワンダでは、来る日も来る日も、自動販売機のことを想っていたのに。
20キロも探し求めていたのに。
だからこそ、いま改めて、自動販売機に感謝しようと言いたいわけではありません。
当たり前のことは、当たり前ではないなんて、言うつもりもありません。
では、なにが言いたいのか。
慣れは怖い。
慣れってほんとに怖い。ただそれだけです。
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