ルワンダとタブラ・ラサ

 

どこで人はひねくれるのだろう。

 

イギリスの哲学者ジョン・ロックは生得観念なんて存在しないと言った。

 

神が存在していると、生まれながらに魂に刻まれているわけではない。

人はもともと何も知を持たない「白紙(タブラ・ラサ)」状態で生まれてくる。経験論者ロックの主張だ。

 

アフリカで暮らしていると、人間生まれたときは真っさらだったのに。どうしてそうなってしまったと、哀愁に包まれることが少なくない。

 

近所の子どもたちと触れ合うとき、タブラ・ラサを感じる。

5歳前後の子どもたちは、外国人のぼくに無邪気に抱きついてくる。

 

一方、大人になったルワンダ人の一部は、アジア人おもに中国人を愚弄する。ご多分に漏れず日本人のぼくは被害にあう。

 

生まれながらに人種差別をする人間なんていない。

 

悲しいかな、何も刻まれていなかった石板に「中国人はバカにしていい」と刻印されてしまったのだろう。

差別の筆をとったとき、どんな経験があったのだろうか。

 

中国人に不当に扱われたことがあるのか。外国人を敵とみなす地域だったのか。何が彼らをそうさせたかは分からない。

けれど、一つだけ確かなことがある。この観念は後天的に創られたものであるということだ。

 

生まれながらに中国人を差別するようにプログラムされていたとしたら、彼らが信じる神は信仰するに値しないだろう。

 

白紙に何を書き込むかは、自由だ。

よっぽどな経験があったのかもしれない。だから、彼らを批判するつもりはない。

 

たしかに腹が立つ時もある。

けれど、自分の板にはアフリカ人をバカにしていいなんて書き込まない。そっと筆を置く。連鎖を止めないかぎり、人種差別もなくならない。

 

目を輝かした無垢な子どもたちのタブラ・ラサに、決して人種差別なんて刻まないために。

 

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