「恩贈り」という言葉を聞いたことがありますか。
ぼくがその言葉を聞いたのは大学3年生の頃。講義の中で、先生が話をしてくれたのを覚えています。なぜか印象に残っていて、その数年後、人生観になりました。
断片的にしか覚えてないのですが、無理矢理その欠片をくっつけてみました。
それが以下の話です。
山奥にとある村がありました。
そこでは、ひとりの少年が両親とお祖母さんとん仲良く暮らしていました。
ある日、少年はお祖母さんに「お父さんとお母さんにいつか恩返しをしたいんだ」と言いました。
すると、お祖母さんは真剣な眼差しで、少年にこう語りました。
「いいかい、親から受けた恩は親に返すんじゃないよ。親に恩を返してしまったら、自分の子にはどうするのだ。あたしもねえ、両親にたくさんの恩をもらった、その恩をあなたのお母さんを育てることで返したんだよ」
お祖母さんは力強い口調で続けます。
「その連鎖で今のわたしたちがあり、あなたがあるんだよ。あなたが親に恩を返すことで、その連鎖を止めたらいけないよ。だからその恩は自分の子供に贈りなさい」
そう言い、お祖母さんは優しい笑顔を見せました。
ほんとうはもっと面白かったです。その話を聞いて感動したのは、今でも覚えています。だからこそ、生きる意味を考えていたときに、この「恩贈り」という言葉出てきたのだと思います。
両親が本当に苦労して育ててくれました。近所の人が安全を見守ってくれました。学校の先生は勉強や集団生活やを教えてくれました。本は新しい世界を教えくれました。会社は働くことの楽しさを教えてくれました。
今の自分があるのは、色んな人のおかげです。また、それは身近な人からだけではないです。様々なところでたくさんの恩を受けていると、ぼくは考えています。
カフェで飲むコーヒー1杯をとってもそうです。
ぼくたちがコーヒーを口にできるまで、たくさんの人たちが関わっています。コーヒー豆を作る生産者、それを運ぶ人、その豆を粉にする機械を作る人、機械を操作する人、笑顔で提供してくれる店員さん。
1杯のコーヒーでこれだけ多くの人が関わっています。実際には、もっともっとたくさんの人が関わっています。感謝せずにはいらません。
ぼくたちはこのように、色んな人から、たくさんの恩を受けて生きていると思っています。
お米が食べれることも、パソコンが使えることも、音楽が聞けることも、電車に乗れることも、服が着れることも、こうして文字を打って、発信できるのもだれかのおかげです。
すべては当たり前ではないのです。
そう考えると、すでに一生かかっても返せないくらいたくさんの恩を受け取っています。これからもたくさんの恩を受け取っていくでしょう。
もう恩で溢れています。この世界に少しでも恩を返していきたい。だから、今まで自分に恩を贈ってくれいた人たちのように、恩を贈っていくことが自分の使命だと思っています。
特に若い世代に、周りにいた大人たちが自分にしてくれたように恩を贈っていくと決めています。
正直、まだまだ「恩贈り」という人生観を実践できていません。贈る意識より、貰う意識が強くなってしまうことも多々あります。
しかし、無意識に恩贈りが実践できるようになります。挑み続けます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!!
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