母を泣かせた。
毎年恒例の合唱コンクールで。
感涙ではない、悲涙である。
それは合唱コンクールの会場ではなく、その直後に組まれた進路についての三者面談だった。
高校に進みますといった内容で、滞りなく面談は終わるかと思った、その時であった。
突如、母が泣きながら、口を開いた。
先日の合唱コンクールでの息子の姿が情けない、みんなに申し訳ないと言うのだ。
クラスのみんなが歌っている最中に、舞台でマサイジャンプなんてしていないし、ゲッツ&ターンなんてかましていない。
万引きGメンに取り押さえられた主婦が号泣しながら懺悔するほどの悪行を働いた覚えなんて一切ないのだ。
母は続けた。
みんなは前向いて歌っているのに、息子だけ時折下を向いて歌っていた。それが目立っていて、恥ずかしかったと先生に謝罪するのだ。
たしかにそれなら身に覚えがある。
けど、終わったことだし、いまさら担任の前でいきなり泣き崩れることではないだろう。
今ここで泣くほうがよっぽど恥ずかしいわ、と怒りと羞恥にさらされた。
二十年近く経った今でも、鮮明に思い出せるほどに衝撃的な出来事であった。
あの時は、弁明も、何もしなかった。
けど、今ここで弁明させて欲しい。
ぼくは気づいてしまったのだ。
自分が音痴であることに。
それまでは気づいてすらいなかった。
合唱コンクールの練習をしている時だった。
思い込みかもしれないのだが、なんとなく周りと音がズレているような感覚に陥った。以来、どんなふうに歌えばいいのか分からなくなってしまった。
反抗期真っ只中ではあったが、根は真面目なぼくは口パクという手段は選べなかった。
そこで選んだのが、下を向くだった。とはいえ別にずっと下を向いているわけではない。
時折、下を向き床と反射する自分の歌声を確認して、音痴なぼくが周りに迷惑をかけないように音程をチェックしていたのだ。
そんな健気な行いが母に伝わるはずがないし、何より自分が音痴だなんて反抗期のぼくには言えなかった。
必死になって音痴の自分なりに、合唱コンクールに最大限貢献しようとしていたのだ。
むしろ、褒め称えらるべきである。
別にみんなの邪魔をしたかったわけではなかったのだ。
ただただ、音痴ゆえになのだ。
おそらく、母も歌は得意でないと思う。
きっとあなたも音痴だろう。だって、ぼくの母なのだから。
ハンカチで涙を拭う母と歩いた木枯らし吹く渡り廊下は、今でも深く消えない傷として残っている。
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