人間の生存戦略

鳥の唐揚げのイメージ

 

鳥インフルエンザになったニワトリたちが、約4万羽殺処分されるというニュースがあった。千葉県では1ヶ月半で、すでに400万羽も殺処分していると言う。

 

あまりに理不尽だと思った。

人間に生かされて、人間に害をもたらすと判断されると殺されるのだ。

 

そもそも人間が食べるために育てられているから、同じかもしれない。

でも、食べるために殺すのと、自分たちの身を守るために殺すのでは、どこか違う気がする。

人間という生き物の身勝手さを感じる。

 

肉を食べるのはよくないと言いたいのではない。

 

肉は食べるし、鶏肉も大好きである。

何なら昨日の晩御飯は、鳥の唐揚げだった。

これまでにもたくさん食べてきた。

 

それはニワトリたちが、大事に美味しく育てられてきたからであるし、有事の時に適切な対応が行われてきたからである。

 

もし、近所の養鶏場で未知のウイルスが発生し拡大したら、正直「しっかり対応してくれよ」と反応してしまう。

冒頭で鳥たちを哀れんでいたのに、手のひら返しである。

これが生存本能というものなのだろうか。

 

アフリカにいたときに、先輩は自ら育てた豚を自らの手で捌いていた。

自分もその経験をしてみたいと思ったが、想像しただけで苦しくなった。

 

ぼくたちは、スーパーマーケットでパック売りになった姿しか見ない。

精肉売り場に行くたびに、心を痛めることはない。

 

しかし、スーパーに出回るまでに、息の根を止められている。

そう考えると、畜産業で働く方々には畏敬の念を抱かずにはいられない。リスクもあり、社会的責任もある。なにより常に命と向き合っている。

 

人間が生きるために、他の命を奪うのはよくない、なんて言うつもりはない。

そのおかげで今がある。ウイルスで処分されてしまった命も含めて、たくさんの命の上に生かされている。

 

なのに、そんな大切なことも忘れてしまう。

食材や料理として目にすると、そこに命を感じにくくなってしまうのだ。

だからこそ、毎食、心から「いただきます」と言いたい。

 

改めて、生かされていることに感謝して、大切にいただこうと思う。

 

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