自分がつくり出したモノはほんとうに自分のモノなのだろうか。

所有論のイメージ

 

自分はだれのモノなのか。

親のモノか、パートナーのモノか、会社のモノか、子どものモノか、いや自分のモノだろうか。

否、世界のモノである。

 

イギリス経験論の始祖とされるジョンロック。彼の政治論の中に、「所有論」があります。

自分の身体は「自分のもの」であり、自分の身体をを使って労働し、そこで得られた成果も「自分のもの」とする考え方です。

ぼくたちは、ごく当たり前のように思っています。

 

この考えに対して、著作家でパブリックスピーカーの山口周さんは疑問を投げかけます。

「自分の身体は自分の所有物」という命題が間違っていないかと。この命題は何にも支えられていないと言います。

「自分でつくりだしたモノは自分のモノ」であるなら、では「自分の身体」は自分がつくったのか? もちろん違いますよね。自分の身体は、生物学的には両親から贈与されたものですし、遺伝子レベルで過去を遡及していけば単細胞生物から延々と続く無限の縁から贈与されているわけで、要するに「宇宙から与えられた」としか言いようがないものです。

本来、贈与された身体を「自分のモノ」とすり替えて理論を積み上げているのでおかしなことになってしまっているわけです。

 

引用元:山口周(2020年)『ビジネスの未来』プレジデント社

 

ライフネット生命の創業者である出口治明さんも、著書の『還暦からの底力」の中で、こうおっしゃっています。

「世界経営のサブシステムを担う」「自分の周囲の世界を、より生きやすいように変えたい(経営したい)」世界を少しでも良くしていく取り組みは、まさに次の世代のための営為です。

自分がいまのポジションで担える部分を受け持ち、世界をよりよく変えるために貢献していくしかありません。

 

引用元:出口治明(2020年)『還暦からの底力ー歴史・旅・人から学ぶ生き方』講談社現代新書

 

ぼくたちは「自分がつくり出したモノは自分のモノ」だと思っています。それが当たり前だと。そもそもそんなことは考えもしません。

 

でも、いま一度考えてみてほしいのです。

あなたは仕事をして富をつくりだし、好きなモノやコトを所有できる。

それは、なぜだろうか。

 

両親があなたを産み育ててくれた。学校の先生が勉強を教えてくれた。友人は人生で大切なことに気づかせてくれた。

それだけじゃない。文明もです。

水や電気に安定してアクセスできる。行きたい場所に安全に早く行くことができる。カフェでコーヒーが飲めることも、スマホで簡単に知りたいことを調べらることも。挙げ始めたらキリがないです。

 

世界からたくさんのモノを受け取ってきた。

しかも、返すことは求められていない。つまり、贈与されてきました。

そして、現在も受け取り、これからも受け取り続けます。

 

そのおかげで今がある自分があるのです。

その自分がつくりだすモノが「自分がつくり出したモノは自分のモノ」と言えるだろうか。

これまで受け取ってきた恩を世界に返していくべきではないのか。

次は、自分が未来に向けて贈与していくべきではないか、そうしたいと強く思うのです。

 

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