【紀行文】青森と念仏【勉強の大切さ】

 

「南無阿弥陀…」

 

かれこれもう15分くらい念仏を唱えている。

 

青森まで来て、いったい何をしているのだろう。

 

深夜0時前、新宿のバスタから青森行きの夜行バスに乗り、次の日の午前10時ごろJR青森駅に着いた。駅の近くにあったファミレスで朝食と旅の作戦会議を済ませ、シードルの醸造工程が見れるA-FACTORYという商業施設へ向かった。

 

そして、気づいたら念仏を唱えていたのだ。

 

【紀行文】青森と念仏【勉強の大切さ】

この4ヶ月前、ぼくはアフリカのルワンダにいました。アフリカでの生活が始まって数ヶ月しか経っていませんでしたが、日本の地域の素晴らしさを改めて感じていました。

せっかく日本に帰るのだから、前から行ってみたかった青森へ行こうと決めました。

 

アフリカのルワンダで「南無阿弥陀」は聞いたことはなかったけど、「アーメン」はよく耳にしていました。キリスト教やイスラム教に何度勧誘されたことか…。

ルワンダ国民の9割近くがキリスト教徒、残りがイスラム教徒や土着信仰です。なので「なんで信仰がないんだ」と不思議がられました。

 

日本人は、宗教に対して拒否反応があるのか、、、

 

「なんか危なそう」「なんか怪しい」「お金取られそう」「洗脳されそう」「なんか怖い」

 

という方が多いのではないでしょうか。

ぼくもアフリカへ行く前に勉強するまでは、そう思っている一人でした。

 

敬遠して知らないままでいるから、怖そうなイメージのままで、いざという時にダマされてしまうのです。

 

何が伝えたいかと言うと、「宗教も少しは知っておいた方が良い」ということです。

 

ぼくはアフリカで暮らし働く上で、ルワンダ人のことを学ぶ必要があると思い、言語、文化、歴史、そして宗教についても勉強いました。

 

もし、このとき宗教を勉強していなかったら、楽しみにしていた青森旅行で大変なことになっていたかもしれません。

青森と念仏

 

ファミレスを後にし、陸奥湾を見渡せる港にある商業施設のA-FACTORYへ向かっていると。

 

「たぶ?」

 

A-FACTORYが目の前に見える広場で、前から歩いてきた30代後半くらいのダンディーなお兄さんが何か話しかけてきた。

 

「たぶの人?」

 

しかし、なんて言っているのかが全く分からない。

 

「たぶの人?」

 

たぶん、3回ほど聞き直した。

伝わらないのに気づいたダンディーなお兄さんはようやく、ぼくが分かる言葉で話してくれた。

 

「たびの人?」

 

「そうです、旅行です」などと話をしていると、青森県の観光パンフレットを広げながら「五所川原のねぶた」が凄いから、車で案内してあげると言うのだ。

 

なるほど。こんなことをしてくれるってことは、この人は市か町の観光課の人なんだ。と一人で納得していた。

これは幸先がいいぞ。時間も持て余していたし、なんか旅っぽいし、青森っぽいことも体験できる。

 

ルワンダにいるときに実践していたことがある。

 

人相をみることだ。

 

人相をみると言っても、顔をみて、良い人そうか、悪い人そうか判断するだけである。

なんとなくの雰囲気や服装を観察するのもコツだ。これが意外と当たる。4回に1回くらい失敗するが7割も当たれば、かなりの精度である。

 

ルワンダで人を間違えると、ほんとうに怖い思いをする。だが、今回は日本だ。人相もいい。

 

なによりダンディズムおにいは、すでに50、60人は案内してると言う。この人なら大丈夫だ。ぼくの知ってる青森の人たちはみんな良い人だし、大丈夫だと信じてついて行くことにした。

 

ダンディズムおにいの車が停めてある駐車場へ歩きながら、話を聞いてみると、ダンディズムおにいはリフォーム会社の人らしい。観光案内をするという行動と、全く結びつかない。冷や汗が背筋を流れた。

 

不安で心臓の鼓動が高まる中、車に乗り込んで真っ先に聞いた。

 

「なんでこんな活動しているんですか?」

 

すると1枚のチラシを見せてくれた。

 

○×○×教団

 

なるほど、全てが結びついた。

 

そして、ちょっとだけ体験していこうよと言うのだ。

もう車に乗せられてしまっている。どうすることもできない。

 

すると会社に電話するねとダンディズムおにいが一言。

 

「一名、入信いきます」

 

急にとてつもなく怖くなってきた。

 

しかし、どう見ても悪い人には見えない。

 

「ある人は信仰してから、腰痛が直ったらしいよ」だとか「アフリカにいても富士山の方角に祈れば、加護が受けれる」と子供が自分の好きなヒーローを話すように楽しそうに話しているだけなのだ。

 

「宗教」という言葉を聞いただけで、人の善意を無駄してもいいのだろうか。

ぼくは、ダンディズムおにいという「人」を見ることに努めた。

 

ついに彼の会社に着いた。たしかにリフォーム会社のようだ。

資材を保管するコンテナの横に小さなプレハブの部屋があり、そこへ案内された。扉を開けると、四畳くらいの広さのフローリングで、奥に仏壇がある。

 

部屋の一面だけ黒いレースのカーテンで仕切られており、その空間にはダイニングテーブルとイスが4脚置いてある。カーテンの向こう側に目を凝らすと、髪の長い年配の女性がこっちを見ていた。思わず肌が粟立った。

 

社長さんが、そのカーテンから出てきた。

この人も人相がいい。なんならめちゃめちゃ良い人だと思う。

 

世間話が終わると、儀式は始まった。

 

「南無阿弥陀…」

 

かれこれ15分くらい念仏を唱えている。

 

青森まで来て、いったい何をしているのだろう。

 

結局、なにごともなかった。

 

約束通りダンディズムおにいは、五所川原のねぶたの施設に連れて行ってくれた。入場料まで出してくれた。見学も最後まで付き合ってくれて、さらに青森までまた1時間かけて送ってくれると言う。

 

しかし、さすがにダンディズムおにいに悪いのと、少し怖いので、ここからは電車で青森駅まで帰ることにした。

勉強の大切さ

 

正直、この真っ最中は怖かったです。

でも、宗教について勉強していたので、ある程度の安心感はありました。

 

仏教の目的や本質的な部分は把握していたので、お金を出せとか言われても反論できる自信がありました。

 

仏教において、嘘も欠かすことのできない要素で、悟りに入るために様々な嘘をついたりします。だから、「信仰していれば腰の痛みがなくなる」「富士山に向かってひたすら念仏を唱える」というのは、悟りを開くための方便なんだなと冷静に受け止められていました。

 

もし、知らなかった騙されていた可能性もありますし、もっと恐怖におののいていたと思います。

 

宗教は恐ろしく、忌み嫌うものでないです。

ただ、思考停止して信じればいいというものでもないです。

 

怖いから関わらないではなく、知った上で自分には必要ないから関わらないという態度が大切なのではないでしょうか。

 

自分にとって必要だと思ったら、選べばいいんです。しかし、選ぶためには正しい知識がないと選べません。なので、ぜひ知らないものを知る努力してみてはいかがでしょうか。世界の見え方が変わります。

 

ぼくはこの2冊を読んで、本質的な部分は掴めました。めちゃめちゃオススメです。



 

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