夜の住宅街に響くバイクのエンジン音は寂しい。
自分はここにいるよ。
と、必死に訴えているようにしか聞こえないのだ。
床に就こうとするとき、大きな無遠慮な音が聞こえてきた。反応的に「うるさい」「静かにしてよ」と思った。
でも、なんで住宅街の真ん中で、ひとり騒音をだすのか不思議だった。音の主に思い巡らしてみた。
社会は問題児や不良を排除しようとする。
しかし、そこには声なき声があるのではないか。
構造主義のレヴィストロースやフーコーは、未開や狂気が劣位に置かれ、文明や理性の高位に置かれていることに意義を唱えた。
それに対してデリダはポスト構造主義と言われる立場ををとった。未開と文明の対立構造ではなく、その根底にある次元を考えた。
優等生と不良のその根底にある次元を考えると、何が見えるだろうか。
そこには愛がある。
優等生は、親や先生からの愛がほしい。不良も、誰かからの愛がほしい。
どちらも等しく愛を欲しているのだ。
こんなことを書いているぼくも愛を欲しているのだろうか。
つまりこの世界は愛に溢れている。
目の前の事象に反応的になるのではなく、根底にある次元を慮る。
たくさんの愛が見つかるかもしれない。
今日もまた愛を叫ぶ声がひっそりとした住宅街に響き渡る。
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