巨人の肩の上に立っている

巨人の肩のイメージ

 

ぼくたちは巨人の肩の上に立ってる、このことを忘れてはならないと思うのです。

実は地球は巨人だった、なんていうダークファンタジーではありません。

 

「巨人の肩の上に立つ」というのは、西洋の比喩です。

先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見するという意味です。フランスの哲学者ベルナールが用いたとされています。

 

とくに哲学は、巨人の肩の上に立つ営みです。

ソクラテスやプラトンから始まり、トマスアクィナス、デカルト、ベーコン、ヘーゲル、ニーチェ、そしてフーコーやハイデガーと現代にまで至ります。

先人の生み出した真理を疑い、新しい真理を導き出すこと積み重ね続けてきました。

 

もし、デカルトが「我思う、ゆえに我あり」という真理を導き出していなかったら、どうなっていたことでしょう。

自分たちの生きている世界はすべて夢なのかもしれないと、虚無感に苛まれながら生きていたかもしれません。

 

自然科学だってそうです。先人の成果や理論が積み重なるという形で進歩してきました。

産業だってそうです。先人の成功や失敗の試行錯誤の上であらゆるものを生み出してきました。その結果、今があります。

ものすごく高く、ものすごく広く、積み上がった場所に上に立っているのです。

 

危険を犯して狩りに行かなくても五分も歩けば安全に食料が手に入り、スマートフォンで家族や友人とテレビ電話したり、空を飛んで世界のどこにでも行けたり、時間を持て余し映画やスポーツを楽しんだり、豊かな世界を生きています。とくに日本は豊かです。

 

さらに言えば、今から80年前、国のために命を賭けてくれた人たちがいました。そのおかげで、今のぼくたちがあります。

戦時中の人たちが、食べるに困らず、大切な人の命を心配することなく、生きていける世界をどれほど夢見ていたことか。

ほんとうに恵まれた時代の、恵まれた国に生まれたと思うのです。

 

ぼくたちは巨人の肩の上に立っているのです。

700万年前の人類誕生から積み上げられた、その肩の上に立たせてもらっているのです。

決して忘れてはいけないと思うのです。この有り難さを反芻し、今を生きるのです。

次の世代がもっと遠くまで見渡せるように、現代を生きるぼくたちも積み上げていかなくてならないのです。

 

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