この調子だとスーツケースは土で埋め尽くされるかもしれない|149日目〜155日目|page.23

 

高校球児たちは、甲子園から土を持ち帰るとき、どんな気持ちなのだろう。

 

悔しさでむしゃくしゃして土をふくろに放り込むのだろうか。それとも、来年はぜったいに負けないという決意のもと膝をつくのだろうか。それとも、そのどちらもだろうか。

 

ぼくは甲子園を見ないでも、いまならその気持ちがすこしだけ分かる気がするのだ。

バッターボックスには立たせて

今週から炭の専門店では、顧客を囲い込むため、ポイントカードを導入することになっていた。

 

初めてポイントカードの話をしたとき、店主のジョナスは大絶賛してくれた。

「たくさん競合がいるから、これがあればウチの店を選んでくれる」と、手放しで喜んでいた。

逆に、ここまで反応が良かったことに驚き、急いでポイントカードやスタンプ用意した。

 

あとは、ルワンダ人の顧客たちがどう反応するか、だけである。

うまくいこうと、うまくいかまいと、ルワンダ人の行動を理解することに繋がる。

 

とにかく実験だ、と息を弾ませて炭屋へと向かった。

完成したポイントカードを見せると、グッドと言いつつもどこか曇った表情をするジョナス。

 

「まだやらない」

 

彼はそう言い放った。

その訳を問うと、商品を割り引けるだけの資金がないと説明する。

 

先週、話をしたときには、スタンプが10個たまったら割引くことで、少し利益が減ることは承知のはずだった。

しかし、いまとなって、取り分が減るのは困る。だから、できないと主張するのだ。

 

たしかに、単体で見ると利益は減るが、うまくいけば客数は増え、最終的な利益も増える見込みである。

だが、伝わらない。懇切丁寧に説明しても伝わらない。

 

たとえ、伝わったとしても、本人が納得していなかったら、どんなに良い方法だろうとやるべきでない。押し付けることだけはしたくない。

 

今回は、とりあえず諦めた。ただ正直、ショックだった。

バッターボックスにすら立てなかった。バットだけでも振らせてほしかった。

 

ただ、ひとつ大きな進歩があった。

 

それは、利益への意識が芽生えていたことだ。

これまでは、売上がすべてだった。粗利はいっさい考えていなかった。

 

たとえば、900円で仕入れた炭を、1000円で買ってくれる1人のお客さまがいる。利益は100円である。

そして、900円で仕入れ10等分した炭を、200円で買ってくれる10人のお客さまがいる。利益は1100円である。

 

これまでは、前者の一回で1000円払ってくれるお客様を大切にしていた。

もちろん、どのお客さまも大切に変わりないが、後者の方が経営的にありがい。

 

毎日、売上と経費を記入するように教えてから、確実に変わってきている。

 

今回の割引きをすると利益が少なくなるから今できない、という発言はこれまででは考えられるなかった。

大学へ行く夢を叶えるために、余計な出費も抑えられていると言った。この進歩大きい。

バントで三振

今週は、支援しているベーカリーでも撃沈した。

 

必死になって作ったチラシやポイントカードは、無惨にも棚に収納されていた。あまり効果がないようだ。シンプルに良くない打ち手だったのだろう。それ仕方ない。

ただ、用済みだと言わんばかりに、のけ者にされているのがショックだった。

 

ぼくは小中高とサッカーボールを追いかけてきたが、バントで空振りをするのは、こんな気持ちなのだろうか。小さく確実に当てにいって空振り。

 

さらに、ワークショップを開催する予定の施設の担当者に、「なんで来ないんだよ」と怒られた。

聞くと、先週ワークショップをする予定だったらしいのだ。

 

7月16日から始めると打ち合わせしたはずが、向こうは6月16日だと思っていたのだ。

ぜんぜん伝わっていない。コミュニケーションって難しい。これもショックだった。

 

こぼれ落ちそうな涙をこらえ、高校球児よろしくルワンダの土をふくろに詰めた。

ルワンダに戻ってきてから何度、土をかき集め、日本への帰還を考えたことだろう。

 

ルワンダ人の上司に「お前はこれを終わらせるまで帰るな、おれは帰るけど」と、オフィスに取り残され、激しく降り注ぐ雨を眺めていたあの日。

コーペラティブで聞かせて欲しいと尋ねると、露骨にイヤな顔をされて厄介払いされ、土埃が舞う街中へと逃げたあの日。

 

もう小さい家くらいなら建てれそうなほど、地面にうずくまった。

 

正直、ぼくはボランティアで、彼らとのつながりに強制力は一切ない。関係を切ろうと思えば、いつでも楽になることができる。

 

だけど、投げ出さないと、決めたのだ。

 

コミュニケーションが難しいのは、ルワンダだから、アフリカだからではない。

日本にいようと、どこにいようと人間関係なんてめんどくさいものなのだ。

 

誰とも関わらず、自分だけの世界で生きていくほどラクなことはない。

それでも、ぼくたちは他者と繋がろうする。

 

それは、もはや愛である。

 

だから、どんなにめんどくさかろうと関わることをやめてはいけない。

もし、縁を切りたければ、関わらなければいいだけなのだ。

 

ほんとそれだけのことで、人との縁なんて切れてしまう。ラクでいいことのようにみえて、恐ろしく怖いことである。

 

人間関係なんて、それだけ脆いのだ。

お互いに繋がっていようとする愛がなければ、かんたんに縁なんてなくなるのだ。

 

そう考えると、いまあなたの周りにいる人たちが、どれだけ有難いか。

ほんとうに大切な存在なのが分かる。自然と感謝の念が湧いてくる。

 

とくに恋愛関係。誰からも強制されない人間関係のひとつだ。

初めは感情の高まりだけで、繋がっているかもしれない。

しかし、長い時間、共に過ごすことで、いろいろな面が見えてくる。イヤな面を目にしたときに、それでも繋がろうと愛を持って行動を起こせるかである。

 

エーリッヒフロムはこんな言葉遺している。
「誰かを愛するとは、単なる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である」

 

ぼくは、彼らの力になると決意し、決断した。これは約束なのだ。

そのことを胸に、なんどルワンダの土を持って帰ることになろうと、今日もまた足を運ぶのだ。

 

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