苦しさとは何なのか。
なぜ人生はこんなにも辛さで満ち溢れているのか。
そんなことをひたすら思考した週は、佐渡への出張で幕が上がった。
佐渡行きのフェリーで死す
やはり冬の日本海は恐ろしい。
乗り物しやすいが、フェリーで酔ったことは、これまでなかった。
出航して、10分ほどでフェリーが上下左右に揺れる揺れる。深く抉るように。
時折、バゴーンと波にぶち当たり、強い衝撃が届く。本気で沈没するんじゃないかと思うほどに。
フェリーって、こんなにも揺れていいものなのか。
そもそもこんな荒波でフェリーって走らせていいのかと慄く。
佐渡まで二時間半はあるので、仕事が進められるなと意気込んでいたのに。10分で無理だと悟り、急いで酔い止めを飲み、横になる。酔い止め飲んだし、もう大丈夫と自分に言い聞かせる。
けれど、もう手遅れだった。気持ち悪くてしょうがない。冷や汗。
トイレへと駆け込み、リバース。
これまでの経験上、一度吐いてしまえば、スッキリして回復する。
しかし、そうはいかなかった。
どうにか船室に戻ろうにも、もう無理だった。立ちあがろうもんなら、再び吐き気を催す。
トイレの個室も揺れる揺れるで、便器に顔をつこっみ続ける始末。
到着までの二時間吐き続けた。
こんなに長い二時間はなかった。二、三回吐いた後からは、もう出てくるものなんてなかった。
ただただ嗚咽を繰り返していた。
二時間トイレにこもっていて、驚いたことがある。
自分の他に吐いている人が、誰一人としていなかったのだ。あんなに揺れいるのに、吐くほど気持ち悪くなる人なんていないのか。
自分の弱さが嫌になるのと同時に愛おしくも感じた。そんな自分が好きである。
文字通り命からがら、佐渡へと辿り着いた。
しかし、もうすでに次の憂鬱は始まっている。もう一度フェリーに乗らないといけないからだ。
ところが、帰りは無傷で帰還できた。
というのも、帰りは一等席に乗るべきという、佐渡で暮らし人たちのアドバイスで、良い座席にランクアップ。かつ、今回は乗船の前にしっかりと酔い止めを飲むことに成功。
これらが功を奏し、トイレを抱き抱えることはなかった。
二時間の船酔いより苦しいもの
今週は祝日もあり、嬉しいことに四連休。
念願の雪中キャンプへも行けた。よかった。
しかし、気づいてしまった。
休日って、途轍もなく苦しい。
殊、連休は苦しい。佐渡行きのフェリーよりも苦しい。
それは、退屈するからである。
退屈している自覚はないけれど、状況的に退屈しているのだろう。
退屈は、苦痛という産物を生み出す。
ただ、退屈しているだけならいい。それも苦しいけど、自分の場合はさらに苦しんでいる。
それは、自分が仕事とプライベートを切り離すのが苦手だからである。
別に考えなくて良いのに、ずっと仕事のことが頭にあり、社用携帯が気になって仕方ない。気にしないと決めていても、内側からチクチクと痛めつけてくる。
その痛みはだんだんと大きくなり、無視できないものなる。
それは今に始まったことでなく、昔からそうであり、休日、とりわけ連休があると、その痛みは強くなるのである。
僕はずっと、この性格? 性質? を変えたいと願い続け、変えられないでいる。
仕事をしているときは仕事をしているから、他のことが心象に浮かんだりはしない。だから大変でも、その方がマシなのかもしれない。けど、嫌なものは嫌だ。
だからといって、休日に逃げこんでも、仕事が追いかけてきて悪さする。
つまり、自分に逃げ場は用意されていない。
仮に逃げ場を見つけて、飛び込んでも一時的に退避できても、また後をつけてくる。その繰り返しが人生である。ずっと辛い。病んでいるわけではない。
見て見ぬふりをしていた現実に目を向けてみたら、人生は常に辛いという事実が顕現したのだ。
今まではそんな残酷な事実を信じたくなくて、ポジティブこそ正義で、無理矢理ポジティブを押し付けていた。
もちろんポジティブは大事だけど、ポジティブの押し付けは、セクハラやモラハラと変わらない立派なハラスメントである。自分は自分にポジティブハラスメントをしていた。そうして現実から逃げていた。
けれど、それでは何も変わってこなかった。
現に身体の内側から痛みに襲われ続けている。だから、現実を見ることにした。現実を正確に捉えられない限り、解決方法は見つからないからだ。
そうして、今解決策を探している。
といった前提に立った上で言う。
プラス思考が大切であるし、常にプラス思考でありたいし、あろうと思うし、それが理想の自分だ。
現状は後退しているようで、実は前に進んでいる。そう信じている。
このウィークデーもウィークエンドもつらい人生に終止符を打つ方法を探している。
現状、ベストと考えいて実現したいのが、そもそも仕事とプライベートの区切りをなくすことである。
つまり、物書きとして生きること。365日24時間物書きとして存在すること。これが理想で、実現すれば己を悩ます痛みからの解放を意味する。
別の側面から見ると、今の仕事はそれを成し得ないと言える。今の仕事というより、組織で働くことが痛みを産んでいる
つまり、自分の自由でコントロールできないことが大半であり、そこを調整するのが大変なのである。言い換えれば、人間関係に囚われている。これが辛さの原因かもしれない。
あとは、根本解決には至らないが、パートナーを持ち家庭をつくる。
これも一つの解決方法である。休日の部分を他者に捧げることで、仕事のことを考える余地をなくす方法である。
そしてもう一つは、何も気にしなくなるほど熱中できるものを見つけること。
実は、これは非現実的だ。出来るのなら、とっくにそうしている。
そんなわけで迷走している。このつらい状況にどうにか耐え忍んでいる。
だから、ここ最近どちらかというと、ネガティブに捉えられる文章になっている。けれど、僕はポジティブであると思っている。というのも、目を逸らすことをやめ、現実に立ち向かい、どうにかしようとしているからである。
まだ、この苦しさから抜け出す道は見つけられていない。
けれど、諦めてはいない。一刻も早い解脱を求めている。
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