パートのおばちゃんが教えてくれた生きる意味

 

ぼくは自分の生きる意味を決めている。

人生理念、それは「恩贈り」だ。

 

この言葉を初めて聞いたのは、大学の講義でだった。

 

他学部の授業を楽単だからという不遜な理由で受講していた。

そのおかげで、自分の人生のテーマになるコンセプトと出会うとは、運命とは面白い。

 

端的に内容をまとめる。

 

なぜ、親が自分たち(=子)のために、すべてを捧げてくれたのか。

それは親もまたそうされてきたからである。つまり、おじいちゃんとおばちゃんがすべてを捧げて父と母を育ててきたからである。そうして、生命とは連綿と続いている。

だから、「親に恩返しはするな」。この一言は衝撃だった。

 

大学を出たら、親に恩返しをするものだと思っていた。

なぜダメなのか。

 

その受けてきた恩を親に返してしまったら、子に送るものがなくなるから、だと言う。

分かりやすく表現すると、親から10もらって、それを親に10返したら、子には0になる。実際にはこんなにシンプルな話ではない。でも意味はわかる。それほどに子育ては大変らしいのだ。

 

自分の生きる意味として、「恩贈り」を据えるようになったのは、この時から3年後ほどだったと記憶している。

人生理念を制定したときとは、直接関係はないのだが、大きな影響を与えてくれた出来事があった。

 

それは、社会人1年目のときだった。

親元を離れて、静岡で働いていた。初めての一人暮らし、初めての仕事、とにかく毎日必死に生きていた。

 

当時に道の駅で働いていたのだが、そこでパートのお母ちゃんがとても可愛がってくれた。

お弁当を作ってくれたり、この魚が美味しいから買ってあげる、とか。ものすごく良くしてくれるから、ふいに聴いてみた。

「どうして、こんなによくしてくれるのですか?」と。

 

すると、「当たり前じゃない。私の息子も東京で働いていて、そこで周りに迷惑をかけたり、いろんな人のお世話になっているんだから。その分、私があなたの面倒をみるのは当たり前よ」。

 

涙がこぼれた。

すごい。こんな人が世の中にいるんだ。この人こそ恩贈りを体現している。そう思った。

この時、恩贈りの概念が拡張された。

 

恩を贈るのって、親から子だけじゃないんだ。

いろんなところで恩は循環している。学校の先生、友達、学校の先生、職場の仲間。

 

そして、それは身近な人だけじゃない。

美味しいお米をつくっている生産者さんも、会社へ向かう時に乗る電車の車掌さんも、笑顔をくれるコンビニの店員さんも。

 

すべてにいろんな人の想い=命がのっている。

気づかない間にたくさんの恩を受け取っている。この恩を自分もこの世界に贈っていこう。

それこそが自分の生きる意味なんだ。こうして生きる意味が生まれた。

 

この恩贈りのために本気で生きようと覚悟を決めたのは、また別の日ではあるが。それは、「死」にリアルに直面した日であった。この話は、また別のときに書こうと思う。

 

以来、そのために生きている。

 

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