デコポンと募金

 

なんだかな。

良い悪いの話ではないのだけど。

 

UNICEF(ユニセフ)やUNHCR(ユーエヌエイチシーアールと世界の貧しい子どもたちや故郷を追われた人々への支援を募る光景は、駅前でよく見かける。

多くの人が素通りし、募金を得るのに苦労されている。

 

その日も、ユニセフが困窮する子どもたちのために、大きな声を上げ支援を求めていた。

やはり今日もなかなか募金をしてくるような人はいないようだった。

 

しかし、そのちょうど向かいに、二十人ほどだろうか。人だかりができている。

その渦の中心にあったのは、農産物販売のリアカーだった。

 

リアカーの上には、白菜やほうれん草、玉ねぎといった野菜から、りんごやみかんといった果物まで載せらている。

中でも、本日の目玉商品は、デコポンらしく飛ぶように売れていく。まさに入れ食い状態。

 

この八百屋とユニセフのコントラストよ。

5メートルほどしか距離がないのに。その間には、天国と地獄を隔てる見えない境界でもあるのか。

 

財布の口の開き具合よ。

デコポンを目の前にすると、ガバガバ。

世界で困窮する子どもを目の前にすると、キュッ。

 

デコポンには次々に500円玉が投げ込まれるのに、子どもたちには1円玉すら投げ込まれない。

 

善悪の話ではない。

でも、なんだかとっても悲しくなった。

 

別にお金の使い道なんて、個人の自由だし、そこに良いも悪いもない。

 

でも、、、でも、である。

 

結局、人間自分がいちばん可愛いのだ。

こんなにも恵まれて、生きていくために必要ではないのに、贅沢品のデコポンにお金を払う。

その贅沢を少しだけ我慢して、世界で栄養失調やワクチンすら受けられず、当たり前に生きていけない子どもたちのために、少しでも、という気持ちはないのだろうか。

 

結局、自分のことしか考えていないのだ。

デコポンと募金の話だけでなく、会社で保身に走る年上社員、店員さんに無愛想に当たる客、いいね集めの為だけに活動する発信者。

 

もっと、人のために考えられるようになれる人が増えれば、本当の意味で豊かな国になれるのに。

その意味において、この国はどの国よりも貧しい国である。

 

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