ルワンダ半年で得た知見【前編】

 

早いもので、JICA海外協力隊として再びルワンダで過ごして半年が経ちました。

そこで、この6ヶ月で学んだことをまとめてみました!

 

ぜひぼくがルワンダで、もがき苦しんで得た知見が少しでもみなさんの参考になれば思います。

ルワンダ半年で得た知見【前編】

他人にどう思われいるかを気にしても仕方ない

ルワンダでの半年の最大の学びは、他人にどう思われているかを気にしても仕方ないということ。

それは失神するほど追い込まれて、手にできた知見でした。

ルワンダで死にかけて気づいたこと

ルワンダに再赴任して数週間での出来事でした。

 

端的にいうと、同僚のルワンダ人女性に嫌われていることがキッカケ。

ほんとうの心の内は分からないのですが、彼女の言動を見ている限り間違いないのです。

 

2年前、初めて職場に顔を出したときから、嫌われていました。

他のルワンダ人が温かく歓迎してくれる中、彼女だけあからさみに態度が違ったのです。

 

とはいえ、これから2年間一緒に働く仲間なので、距離を縮めるためのコミュニケーションと取りますが、逆効果。結局、冷たくされるままでした。

 

そして新型コロナウイルスの緊急退避を経て、1年ぶりの再会を果たした際も変わらぬ反応でした。

むしろ、「なんで帰ったきたの?」という感情が顔に出ている気さえするのです。

 

実際には、自分の他人の目を気にしすぎる病が作りだした幻想ですが。

これが悲惨な結末を生むことになります。

 

例のルワンダ人女性からのアタリが強くなっていると思っていたぼくは、職場にいるだけで多大なストレスを感じていました。

 

どうにか気にしないように努めます。

ですが、上手くいきません。同じ空気も吸いたくないと嫌な顔をされているように見え、彼女がキニアルワンダ語で同僚と話せば、悪口を言われているような気がしてならないのです。

 

真実は分かりません。

けれど、当時の極度に他人の目を気にする弱いぼくには堪えました。

 

もちろん、それだけが原因ではないのですが、嫌われているという思い込みで感じたストレスが限界を超えたとき、全身にじんましんとなって現れたのです。

 

そして、紆余曲折を経て、失神するにまで至ったのです。

詳しくはこの記事を見てください。(幻冬舎Plus:ルワンダのトイレで死にかける

死を覚悟して初めて気付いた

昔から他人の目線を気にして生きてきました。

とにかく人から嫌われないように生きてきました。

 

そんな不自由な生き方を変えたくて、本を読み勉強会に参加し学んだことを実践するのですが、本質的な改善につながったことはありませんでした。

 

ところが、アフリカで本当に「死」を覚悟したときに学ぶことができました。

「他者にどう思われるかを気にしても仕方ない」と。痛いほどに。

 

最も大切なことは、他人の言動を判断しないこと。

なぜなら、他人が実際にどう思っているかなんて分かりえません。心のなかを覗き見るすることは出来ませんから。

 

なのに躍起になって、あの人はこう思っているんじゃないだろうかと想像してしまい、自分を苦しめることに繋がるのです。

しかし、それは自分で作り出した妄想に過ぎません。ただの幻想です。

 

そして次に大切なのが、他人を変えれると思わないこと。

 

たとえ相手がどう思っているか分かったとしても、それを変えることはできません。

相手が自分を「嫌い」だと分かったところで、それを「好き」に変えることは不可能です。

 

どうせ変えることのできないものを、気にしても仕方がないのです。

自分を好きでいられるように生きればいい

どう頑張っても、他人の心の中は分からないこと。

たとえ分かったとしても、他人を変えることができないこと。

 

これらから導き出される解は、相手がどう思っているかなんて気にしても仕方ない、ということです。

 

他人がどう思っていようと、自分の人生にはいっさい関係ありません。

とにかく自分の人生に集中して、自分のやるべきことやるしかないのです。

 

他人に好かれようるするのではなく、自分が自分を好きでいられるように努める。それだけでいいのです。

 

その方が人生はずっと楽しいし、上手くいきます。

99回負けても1回勝てばいい

何にもかも上手くいかないルワンダでの生活が教えてくれたことがあります。

それは「どんなに辛くても足を動かし続けること」でした。

 

これまで失敗することに対して過剰な反応を示していました。

 

なんでも100点を取るのが当たり前だと思い込んでいました。

けれど、それは学校という世界観の中だけでした。ルワンダに来たばかりのぼくは、そんなことすら知らなかったのです。

何をしても上手くいかない現実

地域のビジネス支援が、ぼくの主な仕事です。

その支援先のひとつにパン屋があります。パン屋を経営するオーナー夫婦と意気投合し、彼らをサポーターすることに決めました。

 

彼らのパン屋の売上を伸ばすために、何ができるのかを毎日必死に考えていました。

 

考えを巡らせた末、まずはオーナー夫婦の反応も良かったポイントカードを導入してみることします。

 

ところが結果は、悲惨なものに。

半年で利用者は、わずかに3人。

 

その他にも、店内の販促を一新したり、チラシを作って配ったりもしました。

しかし、売上はまったく増えない。

 

何一つ上手くいかない。

そんな中、もう折れかけのぼくの心をコロナウイルスが容赦なくへし折りにくる。

 

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、国はロックダウンを敢行します。

営業は許可されていたものの、客足がピタリと止まりました。これまで一緒に働いてきた従業員2人の首を切ることに。

そして、最終的には閉店にまで追い込まれました。

 

一生懸命働く彼らのために貢献したい。想いだけで何も出来ない、まったくうまくいかない。自分の力のなさに嘆き苦しみました。

 

そして、この状況はパン屋だけでなく、他の支援先すべてで同じ状況でした。

どこで何をやってもうまくいかないのです。

傷だらけになろうと足を止めるな

どこで何をやってもうまくいかない状況は、本当に苦しかった。

 

そして新しいトライして、己の未熟さを露呈する。この繰り返しで、自分の手でさらに傷を広げるのが、なによりも辛かった。

 

正直、もう動きたくない。

だって、失敗に終わることが目に見えています。もう傷つきたくない。

 

家の中でじっとしていたい、本気でそう思った日は少なくありません。

だって家から出なければ、もう傷つくことはありませんから。

 

たしかに行動せずにいれば、失敗して傷つくことはなくなります。

ですが、状況が変わることはいっさいありません。そして、最終的に取り返しのつかない負けを突きつけられることになるのです。

 

もし、足を止めずにもがいていれば、ボロボロになろうとも、確実に前には進んでいます。

エジソンが言う、失敗ではなくうまく行かない方法を見つけられたということです。それは前進なのです。

前提条件が間違っている

自分の前提が間違っていたのです。

無意識に失敗はいけないものだと思っていました。

 

挑戦に失敗はつきものだと、頭で理解することと実践することは、まるで別物でした。

失敗はOKだと言い聞かせても、失敗に慣れていない自分にはどうしても堪えるのです。

 

そんなとき、数々の苦境を乗り越えたきた起業家さんの言葉が胸に突き刺さりました。

 

「1勝9敗、上等だ」。

 

負けたっていいのです。

そもそも、当たり前のように勝てると思っていること自体がおこがましい。

 

この世界は負けの方が多い。それが背伸びしたチャレンジなら、負けが多くなるのは当然です。

そんなことも知らなかったぼくは苦しみ喘いでいました。

 

負けて止まったら、それこそ本当の負けなのです。

負けても重ね続けても、最後に勝てればそれは、正真正銘の勝ちなのです。

 

何もせずに失敗すらしないことが、最大の失敗なのです。

うまくいかなかったと分かっただけで、成功なのです。

 

つまり、どんなに失敗しようともどんなに結果がでなくても、もがき続ける必要があるのです。

たとえ傷だらけになりながらでも、動き続けることが何よりも大切です。

 

何度打たれたって、何度倒れたって、何度落ち込んだっていいんです。

そもそも人生ってそういうものだから。何度も立ち上がったらいいんです。

この時代に国で生まれたことに感謝

ルワンダで生活していると、自然と感謝の気持ちが湧き出てきます。

この平和な時代に、この日本という国で生まれたことの奇跡には、感謝してもしきれません。

レモングラス売りの少女

ルワンダでの休日。昼食を買いにレストランにきていました。

食事が出来上がるのを待っていると、頭の上にレモングラスを載せた少女がやってきました。

 

そして、その少女はレストランのオーナーにレモングラスの営業をしています。

交渉が終わると再び炎天下の中、次の店に向けて足を運びます。

 

日曜日の朝から働いているのは、彼女だけではありません。

ルワンダには山羊飼いの少年や水汲みの少女だっています。

 

それによって、学校に通えていない子どもたちもいます。

ぼくは幼い頃、水を汲んだり物を売ったりもしなった。何も考えずに学校に通っていました。

 

この違いはなんなんでしょう。

 

日本で生まれたか、ルワンダで生まれたかの違い。

つまり、ただの偶然。

 

自分がレモングラス売りの少女と同じ状況になっていても不思議ではないです。

どちらが良くてどちらが悪いと言いたいわけではありません。

 

けれど、子どもは明日を生きる心配なんかせず、遊ぶこと勉強のことだけ考えて自由に生きてほしいと思うのです。

 

そのことを考える時、やはり自分の境遇には感謝ぜすにはいられません。

だって、たまたま日本で生まれただけで、特段なにもしていないのに多くの恩恵を享受しているですから。

この時代を生きられる奇跡

この時代に生まれたことも、また奇跡です。

 

わずか数十年前までは戦争をしていました。医学も今ほど発展していませんでした。

かんたんに命を落としてしまうこともあったでしょう。

 

しかし、現代は平和です。日常で命を脅かされることはありません。ふつうに暮らしている限りは、80歳までは生きれるようになりました。

 

他にも、人類はこの数世紀で大きく進歩しました。

ヨーロッパに旅行に行くことも、アフリカに友達ができることも、離れた家族とテレビ電話できることも、以前では考えられませんでした。

 

この21世紀を生きれるだけで、ぼくたちはこれまた多くの恩恵を受けているのです。

施しを受けれるような功績を遺したわけでもないのに。

 

これも1900年に生まれたか、2000年に生まれたかの違い。

つまり、ただの偶然。たまたまなのです。

 

この時代にこの国で生まれたというだけで、ほんとうに沢山のものをもらっています。

ぼくに出来るのは、まずそのことに心から感謝し、受け取った恩恵をこの世界に少しでも返していけるよう生きるほかありません。

 

最後にもう1度、ルワンダ半年で得た知見【前編】についてまとめます。

 

  • 他人にどう思われているかを気にしにても仕方ない

他人がどう思おうと自分の人生には関係ない。自分が自分を好きでいられるように生きればいい。

  • 99回負けても1回勝てばいい

何度失敗してもいい、確実に前には進んでいるから。どんなに苦しくても足は動かし続ける。

  • この時代にこの国で生まれたことに感謝

平和な時代に日本という国で生きられる奇跡に心から感謝する。

 

 

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