突然ですが、人生観は持ってますか?
ぼくは、人生観という言葉すら知らなかったです。
大学を卒業して本を読むようになって、初めて知りました。
辞書にはこう書いてあります。
「人間の生き方や生きることの意味に関する考え。人生の価値・目的・態度などについての考え」
要するに人生観とは「何のために生きるのか」と捉えています。
ぼくが人生観を意識するようになったきっかけは、ある会社の社長の言葉でした。
「どんなに未熟でも人生観を持つ努力をしなさい」
この言葉を聞いてから、無理にでも人生観を持てるよう努めました。どんな人生観でもいいから持とうと、何のために生きるかと、もがいていました。
毎日、自問自答しました。
なぜ生きているのだろう?
親に恩返しするため?
親への恩返しとは何だろう?
孫を見せること? 旅行に連れていくこと?
そのために働くの?
うーん、なんか違うな……
じゃあ、何のために働いているのだろう?
お金のため?
なぜお金が必要なのだろう?
生きていくため?
生きていくためだけなら、いろいろな働き方があるのではないか?
実家に戻って、バイトでも生きていけるかな?
うーん、それは違うな……
と何度、自分に質しても堂々めぐり。
心の底から納得できる答えを見つけ出すのに、おおよそ2年に月日を費やしました。
仕事で絶望感を味わった時や私生活で不運があった時には、否応なしに「何のために生きているのか」という問いが浮かぶほどになっていました。
そんなとき、敬愛する著者の「いま死ねない理由が、生きる理由になる」という言葉を契機に「恩贈り」という人生観が生まれました。
正直、人生観なんかなくても生きていけます。
でも、あえて人生観を持つことを推奨します。
人生観を持つようになると、どんなことにもやりがいを感じられます。迷いもなくなります。充実した毎日が過ごせます。きっと人生に悔いなく往生を遂げられます。
ぼく自身、たとえ明日、寿命を迎えても何の後悔もありません。
それは「恩贈り」という人生観を持って、それに基づいて生きているからです。
それほどに人生に生きがいで満たしてくれるのです。人生に意味を与えてくれるのです。
ニーチェは、「無意味な世界を雄々しく生きる超人の生き方」を提唱しました。
何の価値のない世界に自らの意志で価値をつくりだし、その価値を積極的に楽しみながら生きようと。
会社で働く前に、大学で学ぶ前に、できるだけ若いうちに「何のために働くのか」「何のために学ぶのか」「何のために生きるのか」を徹底的に考えるべきだった思っています。
人生の早い段階で、形而上学的な問いに立ち向かっているかどうかで、その後の選択は大きく変わってきます。
自分と真剣に向き合える空間で、15分でもいいので「人生観」を考える時間をつくってみてはどうでしょうか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!!
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