未来を体験した。
老後の年金生活だ。働かなくても、お金が入ってくる。もちろん、時間も自由に使い放題だ。
けれど、幸せではなかった。
2020年1月、青年海外協力隊でルワンダに派遣されました。コロナウイルスの世界的流行で、同年3月末に帰国することに。それから今日まで約10カ月、待機生活を余儀なくされています。
上の発見をしたのは、コロナウイルスの流行が深刻になり、再派遣がどうなるか先が見えなかった4月から6月までの、3ヶ月間のことでした。
働かなくても、生きるのに困らなくなりました。
なぜなら、青年海外協力隊員として月12万円ほど待機手当を頂き、かつ、実家で生活をしてからです。
好きな時間に寝て起き、好きなものを食べ、好きなことをする。一日中、本や漫画を読んだ。サッカーを見て、アニメを見て、映画を見て、一日が終わる。行きたかった場所へ訪れ、欲しかった物も買った。
ただ、一週間で飽きた。
これが数ヶ月も続くと思うと、まったくワクワクしない。むしろ憂鬱にすらなった。
夢のような生活なのに。
不満はないけれど、幸せでない日々が続きました。
ある日、地元のボランティア活動に参加することに。区役所で、地域の情報誌を折り込み、封筒に入れるという内容でした。70代の方、7、8人と作業をしました。
若い人が参加するのが珍しかったのか、
「毎月やってるのよー」
「山田さんは、隣町のボランティア団体のリーダーなのよ」
「私はふだん、老人ホームを無償で手伝ってるの」
溌剌たる声で、自分たちがどんな生活をしているか教えてくれました。
活動は、二時間ほどで終わりました。
帰路、ふと思ったのです。
今の自分の状況は、老後の擬似体験をしているのではないか。
年金生活になったら、この状況から両親や兄弟を引いた生活になるのではないか。
急に、生きるのが怖くなった。
嫌なものを排除し、好きなことに慣れてしまった、喜怒哀楽を失った「無」の中で生きていくことを思うと、恐ろしくなった。
と同時に、いま気づけたことに安堵しました。
人生において本当に必要なモノがわかったから。
時間にも、お金にも、困らなくなったときに、本当に必要なモノがわかったから。
それは「貢献感」。
何かに貢献している感覚がないと、マイナス思考に陥っていくことも身を持って体験しました。
「自分の存在が役に立っていると思えるか」「世界の力になっていると思えるか」そう主観的に貢献していると思えることが、不可欠だったのです。
どんなに時間があっても、どんなにお金があっても、この「貢献感」がない限り、幸せになれない。
では、この感覚を得るためには、どうしたらいいのか。
働くこと。
個人的には、死ぬまで働くことが最もよい手段だと考えています。
そうすれば、貢献感はもちろん、仲間や成長、お金も手に入ります。
しかし、その実現には、好きなこと仕事にすることが必要があります。嫌いだったら、死ぬまで続けたくないですよね。
働くこと以外にも、方法はあります。ボランティアに参加する。得意なことを人に教える。家事をする。その際に、ゆるいつながりを複数持っておくことも大切な要素の一つだと思います。
貢献感を得られる方法は、探そうとすればいくらでもあります。
これは、老後に限った話ではありません。
「世界とつながり感謝される存在でいる」ことが、時間やお金よりも、人間を幸せにしてくれるのです。
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