物質的豊かさと幸福度は比例関係にない。
ルワンダと日本を往来すると、よくわかる。
ルワンダで生活していても日本で生活していても、幸福度に変わりはないことが。
朝日を迎えにいく清々しい心持ちは、アフリカ大陸のど真ん中でも極東の島国でも同じである。
やらかすぎる悪質なマットレスで眠る夜も、清潔で上質なマットレスで眠る夜も、同等に気持ちがいいものだし、9割炭水化物のルワンダビュッフェも、多種多様な日本のホテルビュッフェも同等に美味しい。
たしかに蛇口からお湯が出たりインターネットが早かったりするのは、便利で嬉しい。
でも、それが直接幸福度につながるかといえば、そうではない。
もちろん、ある一定のラインまでは、物質的豊かさと幸福度は比例関係にある。右肩上がりの一次関数を描く。
けれど、グラフはかなり早い段階で上昇を緩める。そして、水平方向に進み始めるのだ。
日本人は、とうの昔に一次関数的に幸せを享受できるラインを超えている。
それでも、貪欲に幸福を追い求めている。
幸せになるための労力と、手にすることのできる幸福感は比例しない。
なので、さらなる幸福の飢餓感に苛まれることになる。このループか脱することができない限り、すでにある幸せを味わうことはできないのだ。
日本人からすると、アフリカの人々の物質的貧しさと笑顔のコントラストの裏には、何かタネがあるのではないかと疑ってしまう。
そこにはタネも仕掛けもない。単に、家族と一つ屋根の下でテーブルを囲めることが幸せだと知っているだけだ。
この国では、幸せを幸せと感じなくなってしまっているのだ。
人間どこまでも慣れる動物である。いい意味でもわるい意味でも。
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