「事件は病院で起きている」
ルワンダの街中を歩いていたら、この字が目の前に飛び込んできた。
2-4、やまもと、しーちゃん、はやと、と書かれた紺色のTシャツをルワンダ人が我が物顔で着ているのだ。
◯×◯×株式会社と書かれた中古のトラックを見かけることがあっても、まさか、高校のクラスTシャツをアフリカの地で拝めるとは思ってもみなかった。
日本でも、クラスTシャツを普段使いしている人は、お目にかかれない。
「事件は病院で起きている」、文化祭でお化け屋敷でもやったのだろう。
文化祭後のクラTは進路は、パジャマと相場が決まっている。
そして、最終的には、どこにも持ち出してもいないのに消えるという怪奇現象を起こす。
これが、たいていのクラTが歩む道である。
ところが、このどこぞの2年4組のTシャツは、アウトローな生涯を送っている。
生まれ育った国を飛び出し、アフリカまで来て、屈強なルワンダ人の肌を包んでいる。
この珍しい光景をカメラに収めようと写真を撮っていいかルワンダ人に尋ねると、金をよこせと言う。この字面を撮れるなら仕方ないかとも思ったが、法外な額を要求してくる。
さすがに、見知らぬ学校の2年4組のために、ルワンダビュッフェ1回分を犠牲にするのは惜しかった。
それはそうと、我が家のクラスTシャツはどうしているだろうか。
母に捜索願いを出せば、無事救出してくれるはずである。実家における母親の捜査力はFBIをも凌ぐのだ。
2、3日、家中探して見つからなかったモノでも、我が家の優秀な捜査官はものの15分で探し出す。高校3年分のクラスTシャツも簡単に見つけてくれるだろう。
1年生のときは、どこぞの2年4組と同じくお化け屋敷をした。
たしか、ピンク色のピエロ顔が描かれた黒いTシャツだった。意外と覚えている。
2年生のときは、ディッピンドッツとか言うつぶつぶのアイスを販売した。
こんな高いアイスが高校の文化祭で売れるのかよと思っていた。蓋を開けてみれば完売。
青いTシャツだった。
3年生のときは、何をしたのか本気で思い出せない。
受験勉強でそれどころじゃねえと、何も手伝わなかったからだろう。
サッカーロシア代表をモチーフにした赤いTシャツだった。
具体的な出来事は思い出せないが、当時の自分が相当イタかったのは覚えている。
いたらまれない気持ちだけが思い出される。
「一生懸命働くだるいわ」みたいなのが、カッコいいと思ってた。
「学校行事なんかどうでもいいわ、部活一本でしょ」みたいなのが、イカしていると思っていた。
そんなイタイ高校生だった。どのクラスTシャツを見ても、イタイ自分が出現する。
あの当時、クラスTシャツはつくるのが当たり前だった。
クラスみんなで同じものを着ることで、クラスへの愛を表現するアイテムでしかなかった。
しかし、あれから数十年経つと、クラスTシャツは単に仲のよさアピールのアイテムではなく、記憶を呼び覚ますアイテムだと知ることになる。
閉じ込めておいたイタイ自分が勝手に立ち上がってくる。けれど同時に、楽しかったなという感情も連れてきてくれる。
わるい思い出も、いい思い出も、呼び覚ましてくれる。
クラスTシャツが、青春時代へとタイムスリップさせてくれる偉大なアイテムだったなんて、高校生のぼくは知らなかった。
そう考えると、アフリカにこのクラスTシャツを送った人物は、よっぽど記憶を消し去りたかったのか。
それとも大事にしていたからこそ、捨てられずクラスTシャツに第二の人生を歩ませたのか。
どちらにせよ、この寄付という行為に持ち主の葛藤を垣間見せられる。
その葛藤に、また青春を感じるのだ。
今後、ぼくは病院にいくたびに思い出すのだろう。
「事件は病院で起きている」と。
そのたびに、ルワンダでの日々を懐かしむのだろう。
そのたびに、あのルワンダ人がクラスTシャツをまだ着ているのを願うのだろう。
そのたびに、顔も知らない2年4組のクラスメイトに想いを馳せるのだろう。
ぼくの青春は、またクラスTシャツによって呼び覚まされる。
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