「知らなくてもいい世界があった」と友人は言った。
「そうだな」とぼくは同意した。
彼とは高校からの付き合いで、よく夢を語っていた。
当時の彼の夢は、教師になることだった。
10年以上たった今、東南アジアのと或る国で働いている。
彼は大学生のときに訪れたフィリピンで、貧困に喘ぐ子どもたちと出会った。
この、異世界との邂逅が彼の人生を変えた。
この、出会いがなければ、きっと教壇に立ち日本の子どもに英語を教えていただろう。
「知らなくてもいい世界があった」
聞いた時、率直にいい言葉だなと思った。
哀愁と共に、どこか満ち足りているように感じるのだ。
知らなくてもいい世界はある。とても共感できる。
それはかつての自分は、一つの世界しか知らなかったから。
結婚して子どもをつくり、家を持ち、一つの会社に勤め上げる。
ぼくの未来には、この世界しか存在しなかった。
しかし、その世界から弾き出された。そして気づいたのだ。
今まで見ていた世界は、数ある選択の一つだったことに。ただ、それを選ぶ人が多いがために、唯一の正解だと思っていたのだ。
会社をやめて好きなことをして生きている人。リスクを取って挑戦しつづける人。世の中に貢献するために命を懸けている人。
そんな自分の生きていた世界と正反対の世界があることを知った。
もう飛び込んでみるしかなかった。
飛び込んでみると、その世界がどれだけ大変なのかを知ることになる。
生半可な覚悟では到底どこへも辿り着けないことを知る。
人生に正解なんてない。
自分で選んだ、その選択を受け入れられるかどうかだ。
だから、いくらでも選び直せばいい。
いま目指している場所がすべてではない。
だから諦めたっていい。
でも、諦められないのだ。
そんなときにいつも思い出す。
午後三時のファミレスでドリンクバーの青汁を片手に渋い表情をしながら「知らなくてもいい世界があった」とつぶやいた友人のあの顔を思い出すのだ。
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