人は死ぬとき、何を思うのか。
実家に帰るため新幹線のホームに立っていた。
すると突如、けたたましいサイレンが鳴り響いた。ユニクロで買ったお気に入りのズボンの右ポケットで、スマホが叫んでいる。また緊急地震速報か、と飽き飽きしながらスマホの画面を覗いた。
そこには、こう書かれていた。
「北朝鮮からミサイルが発射された」「新潟に着弾する可能性がある」と。
そうかそうか、ここにミサイルが迫っているのか。
あまりに現実離れした文言たちに、一般人もドッキリにかけられることがあるんだなと、ひとまずスマホをポケットに戻し、新幹線の到着を待つことにした。
果たしてどこからミサイルが飛んでくるのだろうかと天を仰いでいると、場内アナウンスが流れた。
「今すぐホームから降りて、駅構内に避難しなさい」と、力の入った声で息を切らしながら駅員さんが呼びかける。
そんなに切迫した声色で迫られたら、従う他ない。
ふむ、そうかミサイルが落ちるかもしれないんだもんな。どんな形で、どんな色で、どんな飛び方をするミサイルに我が身は焼き尽くされるのかは、この目で確認したかったが、諦めてホームを後にした。
死神がそこまで訪れているかもしれない状況で、すごく喉が渇いた。
せめて死ぬ前に喉だけは潤しておこうと。これが最後の晩餐になるかもしれない。これは人生最後の大きな決断である。
しかし、あろうことか、自販機の半分ほどが売り切れ。人生そんなもんである。
限られた選択肢の中から、選ぶしかないのだ。欲をいえば、最後の晩餐は、ほうじ茶ラテがよかった。致し方なく、キャラメルラテを購入。
負の連鎖は続くものだ。なんとホットと思って買ったのに、クール。冬の匂いがしてきた11月。冷えた身体を少しでも温めて、最後の時を迎えようと思っていたのに。人生そんなもんである。
意を決して、選択したものが、自分の想像と違ったなんてことは日常茶飯事である。そんな現実をも受け止めて前に進むしかないのだ。それがたとえ人生最後の選択だったとしても。
受け入れ難い現実と向き合い、買ったキャラメルラテのキャップをひねる。口にする。
あっまっっ。
甘い。人生最後に口にしたものは、とんでもなく甘かった。
ぼくはそんなこんなで、人生って甘かったな。そう思いながらミサイルに身体を焼き尽くされるのだろう。それって最高じゃないか。なんて幸せな人生なんだ。
人生どれだけ苦難があろうとも、最後に甘いと思えたら勝ちである。
なので、最後の晩餐には、とびきり甘いキャラメルラテがおすすめです。
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