人生は旅に喩えられる。
旅の意味は、旅そのものである。
清水寺に行きたい、流氷を見たい、道後温泉に入りたい、ほうとうが食べたい。旅の目的は人それぞれである。
かねてよりの願望を叶えられると、満足になる。
はたして、旅の意味は目的を達成することなのだろうか。
旅に何かを求めることに意味はない。旅自体に意味があるのだ。
旅の意味は、何かを見たり、何かを食べたり、何かを体験することではないのである。
たしかに、
見たかった景色が見れたら、嬉しい。
食べたかった物が食べれたら、嬉しい。
行きたかった場所へ行けたら、嬉しい。
いい思い出になったと思う。
でも、ほんとうに記憶に刻まれるは、そこへ至るまでの過程なのだ。
車窓から見えたビル群から山々にグラデーションする景色だったり、クチコミや期待値以下でがっかりしたご当地グルメだったり、泊まった宿の怖い掛け軸だったりするのだ。
思いかけず見つけた絶景や望んでいなかったハプニングの方が記憶に残るのだ。
振り返るとき、それらはいい思い出に変わっている。
そういうもの全てを含めて旅なのだ。
つまり、旅に何か意味があるのではなく、旅自体に意味があるのである。
これはそっくりそのまま人生に置き換えられる。
人生に何か意味があるのではなく、人生自体に意味がある。
ぼくたちは、人生に意味を見出そうとする。
自分の人生は家族のためのあるとか、世界を変えるためとか、会社や地域のためとか。
もちろん、それは素晴らしいし、自分の人生の意味を問うことは必要だ。
しかし、人生に意味を見い出したときではなく、人生自体に意味を見い出したときにこそ、初めて人生を満喫できるのだ。
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