おこぼれ鰻にあずかるしがない人生 #1

 

徒然なるままに、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくる。

 

ということで、ルワンダで暮らしていた時のように、日記を書いていこうと思います。

近頃、ただただ流れるままに時は過ぎ、気づいた頃には人生が終わっていた、なんてことになりそうな予感がするのです。予感と言うより、危機感と言った方が近いかもしれません。

 

自分は今何を感じ、今何を考えているのか、足を止める必要があると感じたのです。そして、後で振り返れるように。

 

それでは、これから適当に綴ってまいります。

 

今週は会社へは行かず、業務で必要なフォークリフトの免許を取りに行ってました。

操作が大の苦手。自動車の運転からゲームまで、てんでだめ。ですが、仕事で必要なので仕方ありません。

 

一つ気合を入れて、フォークリフトの講習へ。

1日目は、座学。フォークリフトの使い方や構造から始まり、なんと重心や力点など物理まで。高校時代最も苦手だった教科は物理。もう苦痛でしかない。

 

とはいえ、この物理の法則などの原理を理解した上で、いかに実技、現実世界で活用していくか。

つまり、原理原則をもとに、考えて応用したりしていくことが大事であると己に言い聞かせる。

ただ、まさか三十歳になって、ニュートンさんとご対面するとは。

 

三十歳というと、なんだか自分の強みとか専門性とか、何かしらないとマズいのではないかと言う、漠然とした恐怖がある。

二、三年で働く場所を変えている自分にそんな大層なものはなく、なんだかドギマギしてしまう。そして、場所が変わっているから「ない」というのは、言い訳に過ぎないことも知っている。

とかく、仕事人として、アピールできるもの、自信を持てるスキル、専門性を持ち合わせていないのだ。そのことに震え上がる。「私はこれができます」と言えるものがないのだ。

ふいに「三十歳」というワードを出したものだから、急にセンチメンタルになってしまった。恐ろしいものだ。

 

座学を終えた二日目。

カイジは一度も読んだことがないのだけれど、カイジの第一ステージみたいな所で実技講習をする。しかも、年齢や性別もバラバラで色んな人がいて、ほんとうにカイジのそれである。

そして、みな懸命にコンクリートの塊を上げては下ろしてとしているが、この免許を取った後、フォークリフトを使って何をするのだろう。倉庫の整理作業なのか、はたまたブロック積みなのか、みなどういう訳があって、取りに来たのだろうか。

 

そんなことをボヤーっと考えるしかないほどに退屈なのだ。

フォークリフトの講習がこんなにもキツいものだとは知らなかった。

 

人間、やらされて最もキツい労働は、a地点からb地点に物を運び、そしてb地点からa地点に運び直す、といった無意味な作業をひたすら繰り返されることだと聞いたことがある。

 

この講習は、まさにそれである。

フォークリフトを使って、a地点にあるコンクリートの塊を、b地点に運び、それをまたa地点へと戻す。しかも、この無意味な作業をするのに、待ち時間が発生するのだ。

待ち時間というのは、ディズニーランドで乗り物るためや夏祭りでたこ焼きを買うために存在する概念である。ただ無意味な石遊びをするために待つなんて。これを丸一日行うのだ。

しかもスマホを見ることは禁止され、寒々とした1月のボロ倉庫で。ここは監獄である。

と、文句を垂れながらも、学科実技ともに合格して、晴れてフォークリフトドライバーとなった。

 

この長い長い四日間の講習を終えたご褒美に、親がお歳暮でもらったカタログギフトを譲り受けて注文した冷凍の鰻を食べる。

親の情けであるおこぼれ鰻を人生の楽しみにして生きるなんて、なんともしがない人生である。

 

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