もうトイレ掃除せざるえない #11

 

目に見えないものにすがりたくなる。

この気持ちが痛いほどによく分かった。

 

人生、自分にはコントロールできない領域がある。

たとえば、景気や情勢、そして他人の心。経営者は、ツキが良くなるからと言って、よくトイレ掃除をするというけれど、これって見えないものを信じているわけではないと思う。

 

自分にできることをやり尽くた。でも、未来はどうなるか分からない。不安は尽きない。

だから、何かにすがるしかない。そこでトイレでも掃除してみるのだ。そうでもしないと、居ても立っても居られないのだ。

 

そんなこんなで、ぼくもトイレ掃除をするしかなかった。

もう、ここ最近の話題は恋である。正直、こんなことを書いても何の意味もない。しかし、一週間の日記を書くために取っているメモを見ると、その内容の九割は目下の恋について、右往左往している自分がいる。完全に患っている。心の病だ。

 

恋って、こんなにも苦しかったか。

寝ても覚めても、四六時中その人を考えている。胸が締め付けられ、とっても苦しい。でも、幸せと言える矛盾した状態。それを人は恋と呼ぶのだろう。

 

そして、自分の臆病に嫌気がさす。

弱気で、ひよって、ビビって、足がすくむ。大学生だった十年前から成長できたのかと思ったけど、変わっていない。なんならもっと臆病になっている。

あの頃は、青春、キャンパス、新生活、大学デビュー、とかそういったものに浮かれて、追い風に押されて、トントン拍子に進んだ気がする。

 

しかし、過去を美化しているのかもしれない。記憶のが抜け落ち、輝かしい部分だけがつながり勇敢な自分を作り上げているのかもしれない。

あれ以来、何度か気になる人はいた。けれど、ここまで煩うことはなかったし、気になっても忙しさを理由に、一歩を踏み出すことはいっさいなかった。己の臆病を、仕事と将来設計とポリシーという盾で覆いまくっていた。

 

その盾を全て取り払って、裸一貫になると、こんなにも震えるものか。すぐひよる。

ふつうの人ならこんなぐちぐち言わずに、一瞬でその一歩を踏み出せるのだろう。改めて、奥手な自分に嫌悪する。いや違う。奥手であることは、別にいいわけだ。ただ、自分が傷つくことを恐れているんだ。

 

好意を受け取ってもらえなかったらどうしよう。桃色の未来が手に入らなかったらどうしよう。

傷つくことが怖いんだ。そんなことで傷つくほどに自分は弱いんだ。この側面においての耐性がまったくないんだ。だから、こんなにもガタガタと震えるんだ。

 

ただ、ひとつ言えることがある。

挑戦せずに逃げ出すことは、ぜったいにしては行けない。だって、ぜったいのぜったいに後悔するから。

やってみて後悔するより、やらずに後悔する方が圧倒的に苦しい。挑戦して失敗したら、清々しい。そして、次へと潔く進める。

 

しかし、挑戦せずに逃げ出したら、その挑戦から逃げた記憶は残り続け後悔の念に苛まれ続け、次へとなかなか進めなくなる。いつまで引きずるのだ。

だから、挑戦するしか道はないのだ。大丈夫。上手く行こうが上手くいかなくても、すべては笑い話に変わるから。一歩を踏み出せ。

 

そして、会社辞めて事業を起こすくらいの感じで語っているが、その一歩というのは、ただ気になっている人をご飯に誘うだけである。

 

さあ、笑ってくれ。

会社を辞めてアフリカへと飛び出す一歩よりも、こんなにも難儀な一歩はない。

 

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